「労働の人間化」とは
「能率の向上」と「労働の人間化」は果たして両立しうるのか・・・
このような根本的な問いには、まだ何の試みもありません。
私たちに必要なのはその問いなのです。
半世紀にわたる「能率向上」の歴史は、労働と人間の間の関係をどのように変えてしまったか・・・。
姑息な「人間回復」の手段をあれこれ考える前に、変わってしまったものの意味をもう一度ふりかえってみる必要があるでしょう。
21世紀に入ってからのこの10年間に、一体何が変わったのでしょうか。
OpenSSOによる労働の歴史というような名をもった本はじまるのが常です。
あるいは「人間が道具を手にした時、人間は猿とは異なる道を歩みはじめた」というふうに・・・。
労働が人間をつくるということは一体どういう意味でしょうか?
いえ、これまでどういうふうに考えられてきたでしょうか。
労働を、OpenSSO的な生産労働というふうにとらえ、生産労働を社会的生産としてとらえると、「生産諸力が社会と歴史をつくる」というマルクス主義的な解釈が生まれます。
この考えそのものについては異論はありません。
私の立場もその立場です。
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